建物の遺影

摩耶花壇(遺影4枚)

摩耶花壇・背面 (1926年の開業当時?)

 開業間もなく南西の丘陵から駅舎方面を背に写された建物の外観。

今は樹木に覆われて、この撮影ポイントから全容が見えないが、レストランの奥に設けたテラスの下部は、石段を通じて降りる地下室であて、今はその基礎だけが残っている。 松林の上部にジェットコースターの軌道らしい影や、道向いには平屋らしい建物(松?園)の一部が見える。

建物の老朽化に伴い、木造部分を解体してテラス下の基礎部分だけが残ったが、ケーブル開通(1925)の翌年に、車道の無いこの地に如何に建築資材を運んだかの謎と苦労が偲ばれる。

テラスの風景 (昭和初期)

コンクリート造りの基礎の上にあったテラス。遠く海を見晴らす涼風の下40余名の宴席があった。

「旧制の工専(現・神戸大学工学部)を卒業して技術者となり大砲の銃身を製作していた頃、第3中(現・長田高)の同窓会を世話して、ここでスキ焼きをした」という先輩に出会った。(キャプション加筆 2016年6月7日)

 

レストラン内部(昭和初期)

参道に面して設けられたレストランの内部

カウンターの奥にはアルコール類を並べ、バーの雰囲気が漂っていた。
ドアのガラス片と思われる厚み約5mm、縁が斜めにカットされたガラス片が2015年に出土した。

写真に見えるヒマラヤ杉が、この巨木に

約90年前、洋風食堂の玄関先に植えられたヒマラヤ杉の2本

 幾多の歳月を経て胴回り3mと大きく育ちました。樹型から地中海のレバノン杉かも?と云う人も。

ロープウエイのゴンドラの窓からも見える上記2本のヒマラヤ杉

虹の駅を出てすぐ、ゴンドラの窓から南西の稜線上に、この2本の巨木が見える。

この地は針葉樹の生育に適しているのだろうか? この樹の高さを推計して欲しいです。

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