摩耶花壇 開業の報道
神戸又新日報 大正15年7月22日付
外構の奥はテラスの一部か? 記事2段目の最終行:神戸の常盤や音羽 = <常盤花壇>と<音羽花壇> のこと (現在の解力: 3MB)
とあるホームペイジで、この記事が「大正15年7月22日の神戸新聞に紹介された」と記栽されていたので、原典を探るべく神戸新聞社を訪れが、過去記事は本社には保管されず、神戸市立中央図書館に保存されているとのことだった。
その足で大倉山の図書館に向かい、神戸新聞マイクロフィルム版の該当日を丹念に調べたが見当たらない。前後の日々や、月を替えて探しても見当たらず諦めていたが、別の機会によく似た名前の「神戸又新日報」という廃刊になった新聞の存在に気づいた。
神戸新聞が「神戸又新日報」の間違いかも知れないと、そのマイクロフィルムを借り受けて大正15年7月22日の頁を開いたところ、見慣れた館の写真が目に入った。
該当頁のマイクロフィルムは他の㌻に比して比較的良好であったが、活字を優先する露光では写真が不味く、写真に調子を合わせると文字が不鮮明になった。露光を微妙に変えながら数枚をプリントして後日編集することにした。
様々な露光条件のプリントを再スキャンして「良い処取りの編集」をした結果がこの新聞記事。露光条件のムラは切り貼りで改善したものの、フイルムの傷と思しき縦線は活字の上だけでなく、写真部分にまであったが細かな手作業で消去した。
鉛活字が潰れた文字も見られ、それらは写植の如く一文字づつのコピー・ペーストで修復。不明文字は触らずにそのままとした。 新聞のタイトル部分と発行日など紙面の最上段は、少々縮小した以外は手を加えず、紙面の中ほどにあった摩耶花壇紹介記事部分を、新聞タイトル横のトップ記事場所に移動した。
絵葉書
摩耶花壇前を通って天上寺へ往来する参詣者。1927(S2)年頃、向側に松楽園という食堂が見えるが、こちらも基礎構造だけが残っている。(絵葉書写真提供:仮称/六甲山専門学校 校長 前田康男氏 2017/03/10)
この石段は、ケーブル「虹の駅」から西に向かう旧・天上寺への参道入口。アーチの門柱には昭和5年に参道整備奉納の呼びかけた代表者と思われる名前が刻まれ、これを起点に摩耶花壇跡までの約150mにの両側に多くの石柱が当時のまま残っている。