摩耶観光ホテルとの関係

摩耶観光ホテルより先に開業した摩耶花壇

摩耶花壇は、摩耶観光ホテルと兄弟関係でした。年代だけで云うと兄貴分です。
摩耶観光ホテルは、ケーブルを開通の5年後にケーブル会社(摩耶鋼索鉄道KK)が建てましたが、摩耶花壇はそれより4年前に子会社である「摩耶山株式会社」が建て、良い営業成績をあげましたので、その成功が摩耶観光ホテルの建設に繋がったように思われます。

現在の虹の駅

 この子会社「摩耶山株式会社」は親族によると、当初療養所を作りたかったとのことですが、種々の事情で方針を変えた様です。「摩耶鋼索鉄道50年史」によると、子会社はケーブル山上付近の遊戯施設や動物小屋、温泉施設などの管理運営を行った、と記されています。それらはケーブル会社の施設だったと思われますが、「摩耶花壇」は摩耶山株式会社が建てたものでした。

「摩耶観光ホテル」の設立会社と「摩耶花壇」設立会社との関係

 自動車が使えないこの地に、鉄筋コンクリートの地下室や建坪100坪ほどの木造モルタルの建材を運ぶには、ケーブル鐡道を利用する以外に考えられない大仕事です。 鐡道建設の途上にそれら資材を運べたのは、ケーブル会社と密接な関係が無ければ無理でしょう。

 この関係を裏付ける事実が残っています。ケーブル虹の駅から少し西、ロープウエイ乗り場の近くに幅広の石段路があり、ここから摩耶花壇跡までの約100mの参道両脇に多くの石柱が残っています。

 その入り口に大きな石柱が2つ並んでいますが、片方は「摩耶鋼索鐡道株式会社」、もう一方は摩耶花壇を建てた摩耶山株式会社の社長「中井 連」の名前が刻まれています。その両横に昭和5年10月26日に神戸沖で行われた観艦式を記念した道路改修との趣旨が記されていますが、両社が協力して天上寺への参詣者の為か、天上寺への感謝を込めてか、両社の関係者や摩耶山麓に住む篤志家に呼びかけて寄付を集めて大規模な道路改修をして天上寺に奉納したと考えられ、両社の密接な協力関係が窺えます。

参道両脇の石柱に刻まれた奉納者の消息探し

 参道両脇の欄干石に刻まれた多くの芳名について、当時の紳士録や名鑑を開いて消息を探ってみました。80柱ほどの約3割は別㌻に記載の様に判明しましたが、大半は不明ですが、摩耶山山麓に住んであられた方々でしょう。昭和5年当時など7~80年前の事なので、皆さんの知り合いの祖父や祖母やその兄弟かもしれない、と思われます。 心当たりの方がおられたら、別掲の掲示板に一言お知らせいただけると嬉しいです。
 摩耶山愛好の皆さんと共に、摩耶山に関する郷土史のページを少しでも充実したものにできれば、と考えていますので。。。