2020年以前の活動

 2020年度の活動は、主に摩耶花壇跡敷地の南斜面に残った小さなバンガローの修復でした。  朽ち果ててスケルトン状態だったバンガローの基礎や屋根を取り換え、側壁の杉板も鎧状に加工して防腐剤を塗布。 皆無だった床は、 杉の 単板を敷き詰め、壁や天上は気密性を配慮し、遺跡保存を意識したバンガローの修復が出来ました。 2020年12月28日

バンガローの側壁用の資材準備、側板の片方を鎧状に加工、参道沿い広場にて(2019/11/24)
2021年4月初旬:2020年度のプロジェクトとして進めたバンガローがほぼ出来上がり、以前から使われていたスレート葺の屋根に笠木を取り付けて一段落。

9月20日(日)奥村、森迫、矢島と横尾の4名でバンガローの床張り。杉単板を15枚の内6枚を仕上げ、残りは翌週に持ちこし。お昼はミニ・ジンギスカンでした。

・9月6日(日)原水、横尾、と新加入の尼崎在住の奥村と森迫で、床張りを開始。

・8月26日(水) 三浦、原水、横尾の3名で床板用の杉単板を搬入。 三浦は広場の草刈り、原水と横尾は屋根南面のスレート張りに専念。

・8月16日(日)スレート張りの準備。8月22日(土)に屋根北側のスレートを張り終え、往時の風情を再生。

・8月1~2日、前迫と横尾がこの小屋に臨時のべニア板を張って泊まり込み、全国規模のアマ無線コンテストに参加(近畿地区50MHz単独9位 JA3DFM)

・7月19日(日)東壁上方に取り付けた採光窓上の側壁張りを終えた。

2020年6月7日(日)東側側壁工事( 朝加、北野 )と、北側窓回りの側壁張り(勝間、横尾)。

5月24日(日)、野地板の上に緑色の防水シートを敷き、ドアの取り付けと西面の側壁張りと採光窓の取り付け。 朝加、原水、横尾

2020年5月3日(第1日曜日) 摩耶花壇の公開イベントを予定 していましたが、コロナ自粛によるケーブル運休もあって中止。

4月19日(日) 腐って無くなっていた棟を作り、屋根の野地板張り。 勝間、原水、石見、横尾

2020年4月5日(日)バンガローの四隅柱の垂直補整とカスガイ打ち。腐食した 柱の根元や梁の補強など(原水、朝加、前迫、横尾)

3月22日(日) 勝間、原水、朝加、横尾、北野でバンガロー基礎部分の荒治療。コンクr-とブロック上に置いた根太の上にスケルトン状の小屋骨組みを乗せ、柱の垂直、水平などの基本修復をした。

3月15日(日) 南傾斜地に残るバンガロー再生プロジェクトの始まり。補修用の柱や床材、コンクリートブロックなどを三浦氏の軽トラとケーブルで運び上げ、バンガローの屋根スレートを除去し、基礎部分の切開や切断手術をした。(勝間、國次、朝加、原水、横尾、中村)。

2020年2月2日(日)彼岸花の苗を参道沿いの柵の下付近に植えつけ。広場の東側に残る滝と滝壺風の石垣に生える灌木の伐採と石垣の安定化。 広場周辺の植栽計画の話し合い。参加者:朝加、寺戸、久保親子、中村、國次、石川、横尾、前迫  


2017年2月4日。このバンガローも朽ち果てる前に何とか再生したいと思った。(海野氏)

 
摩耶花壇敷地の奥に眠るバンガロー跡、 摩耶廃屋の一つとして紹介された。(by kurokuwa 65)



日本三大夜景で賑わう摩耶山。 
ケーブルの中間駅「虹の駅」から西に向かう石段道を150m、摩耶観光ホテル跡の西方250mの参道脇に眠る「摩耶花壇跡」は遺跡なのか、廃墟なのか?

摩耶花壇

在りし日のレストラン「摩耶花壇」
摩耶花壇の沿革と年表、史料紹介の㌻へ

遥か平安から鎌倉そして江戸時代に信仰の対象として、高野山と肩を並べた摩耶山・天上寺。
大正の末に、参拝者で賑わう参道の八合目辺りに合流できるケーブルカーが開通。

その合流点に突如と現れた大正モダニズム建築の館が、初代の「摩耶花壇」。
お寺参りとは異質な、料亭の別館を意識して名付けた「摩耶花壇」が、お寺と如何に関わり、受け入れられて人々を呼び、幾多の変遷を経ながら忘れられて廃墟へと化したのか? その歩みと時代背景を辿る。

以下、5つの側面からの映像概観

 

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