摩耶花壇再生の会


お知らせ(摩耶花壇整備作戦 活動予定) パンフレット「まや暦」にも掲載

2月2日(第一日曜 <実施済> 10時半頃集合、彼岸花の苗50本位を持参し、参道沿いの柵の下付近に植えつけ。 道端広場の東側、滝と滝壺風の石垣に生える灌木の伐採と石垣の安定化。 道端広場周辺の植栽計画の話し合い。 参加者:朝加(加古川)、寺戸、久保親子、中村(堺市)、國次、石川、横尾、前迫(豊中市)

摩耶ケーブル運休のため、3月初めまで整備作戦を休業。3月半ばからの作戦を考える期間とします。

3月15日(第3日曜)を予定。 ①斜面に建つ二坪バンガローの修復準備、②野宿高台の整地準備など、

3月22日(第4日曜日)を予定  摩耶花壇整備作戦、午後は食材持ち寄り野外調理パーティ

 


日本三大夜景で賑わう摩耶山。 
ケーブルの中間駅「虹の駅」から西に150m、摩耶観光ホテル跡の西方250mの参道脇に眠る「摩耶花壇跡」は遺跡なのか、廃墟なのか?

摩耶花壇

在りし日のレストラン「摩耶花壇」
摩耶花壇の沿革と年表、史料紹介の㌻へ

遥か平安から鎌倉そして江戸時代に信仰の対象として、高野山と肩を並べた摩耶山・天上寺。
大正の末に、参拝者で賑わう参道の八合目辺りに合流できるケーブルカーが開通。

その合流点に突如と現れた大正モダニズム建築の館が、初代の「摩耶花壇」。
お寺参りとは異質な、料亭の別館を意識して名付けた「摩耶花壇」が、お寺と如何に関わり、受け入れられて人々を呼び、幾多の変遷を経ながら忘れられて廃墟へと化したのか? その歩みと時代背景を辿る。

以下、5つの側面からの映像概観

 

建物の概要説明や、食堂内部写真の㌻へ
 
 
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